東日本部落解放研究所

【緊急報告】憲法を持たない国の教師になって -原告一人の裁判を戦って- / 申谷雄二(2004年3月 当時南葛定時制分会) [ 2011-06-27 ]

カテゴリ:報告情報

5・30最高裁による南葛定時制不起立裁判の上告棄却

報告する申谷さん(弁護士会館にて) 報告集会に参加した支援者たち

本報告は、原告の申谷(さるや)雄二さんが都高教の仲間に向けて作成したチラシをそのまま転載させていただきました。5・30の最高裁による南葛定時制不起立裁判の上告棄却については、『明日を拓く』88・89合併号において、申谷さんの報告と、松浦利貞さんによる最高裁判決批判を掲載予定です。なお、5月30日の最高裁判決に続いて、6月6日には、卒業式不起立による13名の嘱託採用拒否事件もほぼ同様の判決内容でした。

都高教の仲間のみなさん。ご支援ありがとうございました。

あらかじめ「不合格が決められていた」選考によって、再任用が拒否された時「原告一人の裁判」を決意しました。裁判では、都と都教委の蛮行に自分がやってきたきた教育実践の中身で対峙し、勝利しようと思いました。これが最良の方法であると同時に、私にはこれしか戦いの方法はないと思えたからです。私の呼びかけに、卒業生や保護者は「陳述書」を裁判所に提出してくれました。3本の「原告陳述書」を含めて、充分に戦いの武器たり得ると確信し裁判に臨んできました。教師は、やってきた教育の(労働の)質を持ってしか戦うすべはない、と確信していました。その意味でも原告一人の裁判が相応しいと思いました。幸せな裁判闘争でもありました。この裁判に一刻も早く勝利し、教壇に戻ろう。できれば南葛の定時制の生徒たちのところにと思っていました。過去の最高裁違憲判決の歴史からみて「違憲判決」への期待は一切ありませんでした。だが「憲法」を持つ国なら、せめて「権力の乱用」「不合格の取り消し」ぐらいの判決は実現するのではないかと、ささやかな期待をしていたのも事実でした。

原告一人の裁判にたって

異常な空気の中で迎えた卒業式(2004年3月)、南葛定時制では3人の教師(申谷・木川恭さん・金信明さん)が不起立をしました。また、生徒たちのほとんどの者が起立と斉唱を拒否しました。生徒の不起立は南葛の教育の成果でもあったのかもしれませんが、むしろ外文研部長の朴成哲(パク・ソンチョル)君と彼のクラスの仲間の不起立の呼びかけに、生徒たちが自ら判断し応えたものでした。(朴成哲君は外国文化研究会部長でもあり、当日の卒業式では「答辞」を読み、都と都教委を批判しました。この裁判=原告申谷 木川の両裁判=にも朴君の「陳述書」「卒業式答辞」を提出しています。)私の不起立の決意はといえば、「日の丸・君が代」への反対の意志もさることながら、知事が変わったとしか言いようのない理由によって卒業式が一律に変えられることへの「反対」と「抗議」の意思表示でした。それも静かな。(学校の特性や校長の管理運営権も一切を奪うようなことは、「日本国憲法」「教育基本法」下で許されることではありません。)

南葛定時制は、1970年代の学級減反対闘争の中から、徹底的な学校改革を教師たちの意志で実現してきた学校でした。教師たちの意志と熱意によって「全入無退学」(入学を希望するすべての生徒を受け入れ、退学処分で生徒を学校から追わない)を学校の校是として掲げ、30数年間維持していました。今のように「学校設定科目」も「市民講師制度」もない時代から「生徒にあわせた学校を作る」「学校の主人公を生徒にする」取り組みをしてきました。その結果、創造的な授業の開設や授業内容の創造、学校改革を実現してきました。東京ではもちろんのこと、日本の学校でも初めてのものが幾つもありました。これらの様々な試みは、教師の意志と熱意に支えられて進められてきました。何人かの教師は、自分の人生を「南葛の教育」にかけてきました。学校を生徒のものにするために。(「総合」・「朝鮮語」・「演劇」・「人権科」の開講、縦割り授業「全員ゼミ」、複数担任制、教員免許のない講師の導入、「特進措置」や「生徒の単位認定に対する職員会議への直接の異議申し立ての権利」など多くの改革が行われました。またその途上で林竹二先生(哲学者)や竹内敏晴(演出家)さんとも会うことが出来ました。)

学校の改革が「卒業式」にもおよぶのは当然でした。卒業式の形も生徒の要求の中で変わってきました。フロアー形式で、新卒業生を在校生と保護者と教師が囲み、卒業証書授与は校長が一人ひとりの卒業生の前に持って行き言葉をかけながら渡す。4年間の努力に相応しい、「君が代」も「日の丸」もない卒業式でした。南葛の卒業式は、知事が代わったからというような理由によって出された、一片の「通達」によって変えられるようなものではありませんでした。「学校は国家のためにあるものではなく、子どものためにある」ことは自明なことです。

最高裁判決の日・滑稽さだけが残った

3年間の裁判の過程は、司法権力こそが「違憲国家」の元凶だと強く思う日々でもありました。裁判を始めて、見えてきたものは裁判官という職業の人々の不真面目さでした。一審の一部勝訴の判決も不十分なもので、満足いくものではありませんでした。東京地裁は「裁量権の乱用」は認めつつも、主要な要求であった「不合格の取り消し」や「教育への不当な介入」には判決は及ばず、陳述書も活用されませんでした。その意味では一番大切なところを外した一部勝利の判決でした。

二審の東京高裁は提出した「陳述書」を読んだかどうかも疑わしい判決で、裁判の前から書かれていたような「歴史に残る」名判決でした。特に「教師の良心の後退を勧める」くだりには、我が目を疑いました。さらに南葛の定時制の卒業式とは正反対に位置する、どこの卒業式かと思うような「厳粛な」(?)士官学校の卒業式のような「式」をでっち上げて、石原都政の応援団になっていました。逆転敗訴のこの判決に「帝大廃すべし」(『田中正造日記』)を思い出し、裁判長にはあまりの不真面目さに「世の中の人はもっと一生懸命生きている」との思いでした。

裁判官たちの、この「驕った意識」はどこから来るのかと考えることもありました。この裁判官のような人生に価値があるとは思えませんが。私にとっての残された時間を、こんな人間たちを相手にして使うのは、もったいないとの気持ちも抱えてきました。当初予想した裁判日程をはるかに超えても連絡がなく、さらに最高裁上告から1年5ヶ月が過ぎていました。ここにきて、裁判に勝っても残りの勤務期間は1年を割ていました。この国は裁判をする権利はあるが受ける権利はないのかとの思いを強くしてきました。今年度に入り「最高裁が判決(結論)を出さない」ことも含めて、裁判所も人民と未来に裁かれているのだと、少し余裕を持って視ていました。ところが5月19日「上告棄却」の決定が知らされ「最高裁は法廷を開いて、判決を明らかにする。」とのことでした。5月30日は、心をしっかり持って、最高裁の「精一杯」の判決を聴こうと思いました。最高裁は建物に似て、異様で、冷たいものでした。権威を際立たせるためのセレモニーに徹し、そのやり方は冷たさを通り越して、滑稽な感じが強く心に残りました。権威主義もここまで来ると滑稽な感じで、権威の根拠が崩れているからなおさら権威主義的になり、セレモニー化するのだと感じました。

判決の内容は原告の訴え内容には関係なく判断がくだされ、それぞれの裁判官が「日の丸・君が代」問題への持論を「待ってました」とばかりに展開していました。何よりも、前提となる事実への探求心に欠け、事実の検証には一切こだわらない態度から出来上がっているものでした。やはり、ここにも真面目さも誠実さも見出すことはできませんでした。もちろん「権威」も「知性」も感じられません。私は「君が代」を斉唱したことはありませんが、2004年の卒業式以降は斉唱したことになっています。「やはり」というか「まさか」というか、(少しだけですが)期待していた裁判官の品位さえ疑う内容でした。権力へのチェックが機能しない最高裁を誰も期待しなくなっている事実に気づくべきだと思うのですが。

裁判所は一方的に裁く権利を持っていると思っているかもしれませんが、裁く側もまた裁かれていることに気づくべきだと思います。この裁判の判決も、いつか人民と未来に裁かれる日があることを期待します。終わった後の卒業生や親たちとの記者会見の内容は様々なニュースで報道されましたが、朝日・毎日新聞の社会面(5/31日)を合わせ読んでいただければ真意は伝わると思っています。救われた思いが少ししたのは 朝日新聞の社説(「君が代裁判 司法の務めつくしたか」6月1日)でした。

都高教の仲間のみなさん。

今、学校現場で子どものためにご苦労なさっている教師たちに、なにがしかのお手伝いが出来ればとも思ってもきましたが、その望みは果たせませんでした。その点では申し訳なくも思っています。たが私個人としては、ここまで一緒に戦ってくれた卒業生や保護者、また志を同じくしてきた仲間の教師、南葛の教育のために多くの力を貸してくれた人々に支えられた裁判であったことを誇りに思います。少しの悔いもなく次に進める気がします。

いつの世も「教育の可能性」と「教師の力」は大きいと思って教師を続けてきました。今もその気持ちに変わりはありません。「教育の可能性」を信じて、子どもたちのために奮闘ください。(2011/06/14記)




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