東日本部落解放研究所

努力して「無知」でいる!/山脇史子(東京都) [ 2009-12-01 ]

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『寝ながら学べる構造主義』(内田樹 文春新書)を読んだ。びっくりしてしまった。

無知というのは、「知らずにいたい」というひたむきな努力の成果であると書いてある。

話題になった本なので、ご存じの方も多いかもしれない。

この無知についての話は、前書きに出てくる。─よい入門書は、まず最初に「私たちは何を知らないのか」を問います。「私たちはなぜ、そのことを知らないままで今日まで済ませてこられたのか」を問います。これは、実にラディカルな問いかけです─と書く。

続けて─なぜ、私たちはあることを「知らない」のでしょう?なぜ、今日まで、それを「知らずに」きたのでしょう。単に面倒くさかっただけなのでしょうか。

それは違います。私たちがあることを知らない理由は、たいていの場合一つしかありません。「知りたくない」からです。より厳密に言えば「自分があることを『知りたくない』と思っていることを知りたくない」からです。

無知というのは、単なる知識の欠如ではありません。「知らずにいたい」というひたむきな努力の成果です。無知は、怠惰の結果ではなく、勤勉の結果なのです。

嘘だと思ったら、親が説教くさいことを言い始めた瞬間にふいと遠い目をする子どもの様子を思い出してください。・・子どもは『大人の説教』をひとことでも耳にいれないために、アンテナを張り巡らし、『説教』の兆候がないかどうか、不断の警戒を怠りません。たいへんな努力だと思いませんか?

…あることを知らないというのは、ほとんどの場合、それを知りたくないからです。知らずにすませるための努力を惜しまないからです。ですから私たちは「何を知らないのか」という問いは、適切に究明されるならば「私たちが必死になって、そこから目を逸らせているもの」を指示してくれるはずです─とある。

うわーと思った。大いに心当たりがあるからだ。どれだけ大切なことを知ることから逃げてきただろうと思う。

多分、内田樹が書いている通りなのだろう。自分を振り返っても、単になまけ者であるだけでなく、逆向きの努力、無知へ無知へ進む努力を必死にし続けているのかもしれないと、ぼう然としてしまった。

ああ、もう今からでは遅いけれど残された持ち時間は、それ程ないかもしれないけれど、自分は、何を知らないのか、知りたくないのか、点検し直してみようと思う。
(『明日を拓く』79号、「会員・読者のページ」から転載)

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