東日本部落解放研究所

リニューアル/山脇史子(東京都) [ 2010-07-01 ]

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少し年上の友人が、おもしろいことを言っていた。

「このごろ若い人を見ていると、なつかしいような気分がする」と。

先日還暦を過ぎた彼女は、私の古い友人だ。子供が嫌い、自分より年下の人は全部嫌いという、ちょっと偏屈かつわがままな人物だ。だから結婚しても、自分の意思で子供は持たなかった。

「自分が歳をとると、だんだんまわりが年下の人ばかりになって、年上の人が少なくなってきた」と苦笑していたのは、どれぐらい前だっただろうか。

彼女が「子供をかわいいと感じるようになった」と言いだしたのは、父親が死んでからだ。それまでは、自分の兄弟の子供たちにも、邪険にあたっていたらしい。

父親が死んで、その直後に弟のところに生まれた赤ん坊が、父親にそっくりだった。耳の形、指の表情といったパーツ。顔を傾けたときの雰囲気。ずっと見ていたいような、なつかしさだった。

気づけば、その赤ん坊だけではなくて、中学生、高校生と育っていく他の兄弟の子供たちも、まるで、年老いて死んだ父親が、若い姿にリニューアルして戻ってきたようではないか。瑞々しく、かつなつかしい姿ではないか。

そう思って見ると、街ですれ違う若い子たちも、みな瑞々しくどこかなつかしいではないか。

まるで、我々自身が、リニューアルして、出直しているような姿ではないか。

よお、ちゃんとやっているかと、声をかけたくなると。

「年をとるとは、こういうことだったのかしら」と、彼女は笑う。

いろいろなことの境界があやふやになる。見たことのないはずのことがなつかしい。

世界中のいろいろな場所いろいろな時代で、さまざまな生き方をした人々がなつかしい。人は身近な死者を通じて世界とつながっていく。

「歳をとるとは、こういう豊かなことだったのかと思うわね」

聞いていて、亡くなった文筆家の池田晶子が『草思』という雑誌に書いていたのを思い出した。「年齢を重ねるにつれ、内省と回顧は判然としなくなってくるけれど、さらに面白いのは、このとき回顧されているのが、必ずしも自分の人生ではなくなっていることだ…その視界に、自分の人生としての人類の人生、すなわち『歴史』が、当たり前のように入ってくるようになるのである・・」

「歴史と自己との不思議な乱反射」

池田はそう結んでいた。

生前、ちっともいいと思っていなかった池田が、そんなことを書いていたのかと感慨深かった。

歳を重ねていくのは、しみじみとおもしろい。
(『明日を拓く』82・83号、「会員・読者のページ」から転載)

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