東日本部落解放研究所

狭山現地調査の現在/鈴木慰(狭山部会) [ 2010-07-01 ]

カテゴリ:情報提供

今年の三月と四月に現調をした。三者協議で裁判所が検察に証拠の開示勧告をした後で、参加者も緊迫感をもって臨んでいた。

狭山はこの一か月の間にもすっかり変わってしまった。殊に狭山市駅周辺の変貌が激しい。三月の現調の時はホームから改札を出て直接道路に出られたが、四月にはホームから階段(エスカレーター)を上がる。そこに改札があり、道に出るにはまた階段を下りるという具合。石川さんがアイスクリームと牛乳を買ったとされた「すずや」は閉じられて久しいが、その前は、「狭山事件」現調のスタートで、はじめに説明する場所であった。今やその「すずや」は跡形もない。そこは駅からの下って来る階段、そして歩道で広々としている。三月にはまだ駅前で古い写真(入間川駅と入っている)を見せ、事件当時の雰囲気を伝えられたが、全く変わってしまい当時を思い起こすものはない。

ずいぶん前であったが、石川さんが雨宿りをした荷小屋がなくなり、バスの折り返し点になってしまい、その変化に驚かされたが、この度の駅前の変わり様はそれどころではない。全くビックリである。駅周辺の変化に、久しぶりに来られる方は「ここはどこ?」と思われるだろう。次に狭山はどう変わってしまうのか。

ここからスタートする現調は、確定判決で石川さんが歩いたとされたコースの道は通れず、道に沿って左にカーブしながら歩くようになったが、その道の幅が広がり、右に入る角はすぐ目の前。踏切を渡って荒神様への道も広がり、荒神様も小さくされ、寂しげである。何の植え込みもない。出会い地点へ向かう道からは見ることのできなかった第一ガードが丸見えになった。ガードの向こうまで見渡せてしまう。幸いなことに「山学校」の姿は変わっていない。出会い地点も広く舗装されて久しい。石川さんが自転車を間に女子高校生を連れて歩いたとされる道は、心持ち広がってしまったがほとんど同じ道幅。

「殺害現場」はすっかり変わってかなり時間が経つ。桑の木を消毒していた畑に人家が建ったのもかなり前。死体埋没場所、芋穴もとっくになく、その場所にも近づきがたい。

残るは万年筆「発見」現場。元のその場は焼け、時代考証をして再建されたもの。再現されたものなのだがそれなりに力をもっている。あとは石川さんご夫妻の話が、現調参加者の心に訴える。今や「現調」はここにかかっている。

三者協議で裁判所が検察に求めた証拠の開示に、検察は十分に答えなかった。裁判所の勧告に答えない検察への追及は見当たらない。これでは裁判の公正が保証されない。裁判所に公正裁判を求め、検察に全証拠の開示と、裁判所からの勧告に真摯に答えるよう要求せねばならない。(狭山事件に表れたような権力犯罪をなくすために、取り調べの可視化、全証拠の開示などの制度化を求める運動を高めよう。)
(『明日を拓く』82・83号、「会員・読者のページ」から転載)

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