東日本部落解放研究所

インド人権スタディツアーに参加して/松浦利貞(教育部会・古文書を読む会) [ 2011-12-08 ]

カテゴリ:報告情報

今年七月二三日から三一日にかけ、インド子ども人権基金のよびかけによる第六回インド人権スタディツアーに参加した。私の参加は今回で四回目になる。日本の部落差別の源流とも言えるインドのカースト制度、ダリット(※1)差別について以前から勉強したいと思っていたので六年前(二〇〇五年)に第一回のスタディツアーの呼びかけがあった時にすぐに参加を決めた。スタディツアーに参加してインドのダリット差別のきびしさとその解決の困難さを実感した。と同時にたった一週間ちょっとのツアーでは何もわからないし、何も言えないとも感じた。それから四回の参加で少しづつ見えてきたこともあり、依然としてよくわからないこともたくさんある。一回目の参加で強く感じたのは日本の江戸時代の部落差別が今ここにあるのではということであった。インドは独立後、ダリット解放運動の指導者アンベードカルが中心になって作った民主的憲法を持ち、そこではカーストによる差別の禁止、「不可触民」制の廃止、さらにはダリットや先住民族に対する優遇(留保)制度(※2)まで規定している。にもかかわらずダリットとの同席が嫌われ、公的施設(例えば学校、火葬場、用水)、宗教施設(教会、寺院)等における別席、排除、食堂等での食器の区別、差別に抗議すれば暴行を受け殺され、警察に訴えてもとりあってくれない等さまざまな差別がある。結婚は同じカースト同士、就職差別はきびしいし、経済的に圧倒的に貧困であるから学校にも行けない(近年は政府の奨励策もあり学校にはほとんど行くようになったが途中でやめてしまう子どもたちが多い)し、教師たちも差別的である。

私がもっとも疑問に思ったことは、この人間がダリットだとどうしてわかるのかということであった。それは見ればわかるということなのだ。私たち外国人にはどうしてだかさっぱりわからないが見てわかるのだそうである。これは日本の江戸時代と同じである。江戸時代は髪型、服装、言葉など見かけで身分がわかった。

一方、ダリットは一二億のインド人口の中で約二億人と日本の人口を上まわる数を占めている。しかしインドは多言語の国家であり州によって言葉が違う、さらに同じダリットでも、と畜、皮革、洗濯、清掃、葬送その他それぞれの職業ごとに結婚も別、住むところも別、内部にも差別があるということで、水平社宣言にある「全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ」とは簡単にいかないようなのである。

一、二回目のツアー参加者を中心に「見た、知った」以上何かをしなければという思いと現地の人々の思いをつなげて、私たちは二〇〇七年、NPO法人インド子ども人権基金を立ち上げ、子どもたちの教育支援を始めることにした。現在のところ率直に言えば二億の民の中の二五人の子どもへの経済的支援である。どれほどの意味があるかという疑問が寄せられることもある。

インドのカースト制度もダリット差別もインドの社会に深く根をおろしている。ここを変えればよくなるなどという甘い状況にはないが、ダリットの人々は日々生起する差別と闘っている。どんな小さな闘い、取り組みも意味のないものはないと言える。

差別がきびしいため外部の人間を受けいれてこなかった、と場、なめし工場、洗濯作業所などを今回見学することができた。基本的に手作業で熟練の仕事であるが、ダリットの人々の労働現場、作業環境はどこもきびしい。

次は私たちを受けいれているダリット文化協力協会のキャロリン弁護士から聞いた最近の話しである。金の貸し借りでもめて、貸し主の上位カーストの人間が借りた側のダリットに暴言を吐き、これに抗議すると殴られ口に人糞をつめこまれた事件があり、ようやく加害者が逮捕された、しかし、私たちが毎回訪問する村でダリットのリーダーが地主のさしがねで殺された事件などは警察は犯人をつかまえようとしなかったという。警察は無実のダリットをつかまえても、被害者のダリットためには動くことはないようである(今インドで問題になっている汚職の蔓延も関係し、警察は金次第でどうにでも動くと見られている。ダリットは金を持っていない)。建て前としては差別も暴力も禁止されているが、ダリットはなぐっても殺してもいいという意識が昔からあまり変わらずにあるように思える。今 『解放研究』に史料が掲載されている「武州鼻緒騒動」は百姓、商人が長吏を平気で殴りつけることに抗議したところから運動が始まっている。

インドのトイレは水洗式でないところが多い。人糞を口につめこむなどとんでもないことであるが、背景にある次のことも見ておく必要がある。

インドでは屎尿の掃除はダリット女性が素手ですくって行ってきた。これをやめさせる法律が一九九三年にできたにもかかわらず状態は変わらず、そのため今ようやく取り組みが始まったところという。

ここではふれないがインドにおける女性差別はきびしい。女性の大統領や首相が出ているからと言って女性が社会的に活躍できているわけではない。日本の江戸時代にあった「三従の教え」がインドにはまだ生きている。特にダリット女性は女性であることとダリットであることの二重の差別を受けている。

インドに行くと日本とは歴史も文化も明らかにちがうことがわかる。でもIT産業などを背景として経済成長を遂げ、原爆、原発や空母を所有し常任理事国に立候補しようとしている国の現実をひどすぎると簡単には言えない日本の現状もあわせ考えさせてくれるのである。

※1 ダリットとはインドのカースト制度の中でカーストからも排除され「アンタッチャブル(不可触民)」として差別されてきた被差別民であるが、現在は運動の中で生まれた「抑圧された人々」という意味のダリットという言葉を使うようになってきている。

※2 インドではダリットを「指定カースト」、先住民族を「指定部族」と指定し人口比に応じて大学進学、公務員就職、議会選挙の際に二三%の優遇措置(特別枠)を定めているが、多くは差別のため大学や公務員採用までたどりつかないのが現実である。

(『明日を拓く』第90号、「会員・読者のページ」から転載)


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